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西部劇!!!

西部劇の歴史








西部劇は映画とともに歴史を歩んできた。そして西部劇はハリウッドが築き上げた独自のジャンルであり、西部開拓の歴史を持つアメリカだからこそ生まれたとも言える。厳しい自然の中で多くの困難と闘いながら逞しく生きてきた開拓者の物語はアメリカ人の誇りとするものであり、フロンティア精神と夢を含み、アメリカンドリームそのものであった。


ハリウッド





西部を舞台とする発想は映画史のごく初期から存在しており、1898年には、エジソンのキネトスコープ(覗き眼鏡方式)による活動写真において最初の西部劇が作られている。1895年にリュミエール兄弟が初めてシネマトグラフ(スクリーン投影方式)を生み出し、やがてサイレント映画が登場すると、最初の本格的な西部劇映画である1903年のエドウィン・S・ポーター監督『大列車強盗』がつくられた。

列車を襲った強盗を自警団が追跡して討ち取る簡単なストーリーだが、走る列車の上での立ち回り、殺人と金庫の爆破、追跡と撃ち合いなど動きのある映像を編集した画面によって観客は興奮を味わい、やがて西部劇はアクションを売り物に盛んに製作された。この「大列車強盗」はその後の西部劇映画の基本となる骨格を整えた画期的な作品で、映画の歴史に大きな影響を与えた。

ただし、この映画の撮影はエジソン社に近い東部のニュージャージー州であり、西部の自然はスクリーンに映されていなかった。当時は撮影は東部でしか出来ず、物語は西部でも、撮影は全て東部で行われていた。1910年代に入るとエジソン社による特許権紛争が起こり、トラストによってエジソン社の特許を持たない映画関係者の強制排除が行われて(後に裁判でエジソン社は敗れる)、特許料の支払いから逃れるように遠い西部に移った人々はカリフォルニア州ロサンゼルス郊外に西部劇を製作するのに好条件の土地を見出した。豊かな太陽、美しく雄大な景観をバックに、ロケーションに事欠くことなく西部劇の撮影が進められ、ここが映画製作の中心地となった。それがハリウッドであった。



西部劇スターと監督








西部の荒野で、逆境に立ち向かい、悪をやっつけて、弱者(女性や子供)には優しいガンマンを主人公に、懸賞金が掛けられたお尋ね者と決闘したり、駅馬車を追っかけたり、銀行強盗があったり、騎兵隊が来たり、そして先住のインディアンと争ったりするのがパターンであった。実在した保安官(ワイアット・アープやワイルド・ビル・ヒコック)やガンマン(バット・マスターソン、ビリー・ザ・キッド、ジェシー・ジェームス)を題材にして、アメリカ西部の大自然を背景に開拓者魂(フロティア精神)を詩情豊かに描く西部劇は多くの人々を魅了し、西部開拓時代へのノスタルジーを掻き立てられた。

それは19世紀後半の西部開拓時代での開拓者精神を称え、アメリカを発展させたものとして賛美するものであった。

こうした西部劇の基本は強く勇敢なヒーローの存在であり、そのヒーローを演じる俳優は西部劇スターとなった。最初の頃に登場したブロンコ・ビリー・アンダーソンは「ブロンコ・ビリー」シリーズで主演し、毎週1本ずつ一巻物(上映時間12分まで)で製作された連続活劇に7年間出演した。

ブロンコ・ビリーの後にはブロードウエイの舞台俳優であったウィリアム・S・ハート が二挺拳銃の颯爽とした姿で登場し「西部の騎士」のようなスタイルで多くの観客を魅了した。ハートはそれまでの西部劇役者とは全く異質で、騎士道精神を前面に出しながらも孤独で悲劇的立場に追い込まれる場面が多く、そこが観客の心を強く打つものであった。

彼は俳優のみならず製作・監督にもたずさわり、「曠野の志士」(1925年)などのサイレント作品が日本でも上映されて西部劇映画に大きな足跡を残した。

そしてほぼ同時期にハリー・ケリーが登場して1917年から1919年にかけて「シャイアン・ハリー」シリーズで人気を呼んだ。ハリー・ケリーは後年は脇役に回って、戦後は「白昼の決闘」「赤い河」にも出演していたがサイレント期の西部劇スターとしてその名は記憶されている。

この「シャイアン・ハリー」シリーズの殆どを製作・監督したのが当時ジャック・フォードと名乗っていた後のジョン・フォードであり、ハリー・ケリーはフォード一家とは親しい関係で、息子のハリー・ケリー・ジュニアは後にジョン・フォード西部劇の貴重なバイプレイヤーとなり、ハリー・ケリーの妻は後年のフォード西部劇の傑作『捜索者』に出演している。

ジョン・フォードは兄のフランシス・フォードによって映画界に入り、フランシスの助手を務めながらやがて映画監督になったが、そのフランシスはサイレント時代の西部劇の製作に多く関わり、『Custer`s Last Fight』(1912年)「旋風児」(1921年)「Western Yesterday」(1924年) などの作品を製作している。このサイレント期には、前述のエドウィン・S・ポーター、フランシス・フォード、ウィリアム・S・ハート以外にスチュアート・ペイトン、リン・F・レイノルズなどの映画監督が西部劇に多数の映画を残していた。また他の西部劇スターとしてはウイリアム・ファーナムやトム・ミックスらがいた。










第一次世界大戦後にはジェームズ・クルーズ監督『幌馬車』(1923年)」が製作されて、この映画はスターによるヒーロー物語ではなく、自然の猛威や先住民と戦いながら西部の荒野を西へ西へと進む集団の物語で、それまでの西部劇とは全く違う新しい西部劇を作った。ジョン・フォードは1924年に大陸横断鉄道の建設を軸にした西部開拓叙事詩「アイアンホース」、1926年に『三悪人』を製作していた。

そして1927年に「ジャズシンガー」でトーキーが普及すると、後に「風と共に去りぬ」「オズの魔法使い」を作ったヴィクター・フレミング監督が1929年「ヴァージニアン」を製作して主演に抜擢されたゲイリー・クーパーはこの作品で西部劇スターの座を獲得した。その後1936年にセシル・B・デミル監督の『平原児』で主役ワイルド・ビル・ヒコックを演じ、ジーン・アーサー演じるカラミティ・ジェーンとの悲恋を絡めながら巧みなガンさばきを見せて大スターとなった。

一方1930年ラオール・ウォルシュ監督の「ビッグ・トレイル」でジョン・フォードは当時無名だったジョン・ウェインを推薦して主役に抜擢させたが不評に終わったので、ジョン・ウェインはその後B級西部劇に10年近く出演を続けた。そして1939年になってB級映画で俳優として経験を積んだジョン・ウェインを再び抜擢してジョン・フォードは『駅馬車』を製作し、ジョン・ウェインは主役リンゴー・キッドを演じた。

この映画は駅馬車の走行にインディアンの襲撃及びガンマンの決闘、そして駅馬車に乗り合わせた乗客のそれぞれの人生模様を描き、たんなる娯楽活劇ではなく西部劇の評価を一気に高めて、今日でも戦前の西部劇の最高峰と評価されている。

この時期にはサイレント映画の名作「ビッグ・パレード」を作ったキング・ヴィダー監督が西部劇の「ビリーザ・キッド」(1930年)、「テキサス決死隊」(1936年)を製作し、同じくサイレントで「スコオ・マン」を作り、トーキー以後の1931年にも再映画化をしたセシル・B・デミル監督が「平原児」の後に1939年に大陸横断鉄道の建設、列車転覆、襲撃、悪との対決、恋を絡ませたジョエル・マクリー主演『大平原』、その翌年1940年にゲイリー・クーパー主演『北西騎馬警官隊』を製作し、同じ1939年にヘンリー・キング監督でタイロン・パワーがジェシー・ジェームスを演じた『地獄への道』、ジョージ・マーシャル監督でジェームズ・スチュアートとマレーネ・ディートリヒ主演『砂塵』、1940年にウィリアム・ワイラー監督で西部開拓史にその名を残すロイ・ビーン判事を描いたゲイリー・クーパー主演『西部の男』など西部劇の傑作と呼ばれる作品が次々と発表された。

第二次大戦の戦時下でもハワード・ヒューズ監督でジェーン・ラッセルの妖艶な姿が話題となった『ならず者』(1943年)、ラオール・ウォルシュ監督の史上に名高いリトル・ビッグホーンでの第七騎兵隊の全滅とカスター将軍の最後を描いたエロール・フリン主演『壮烈第七騎兵隊』(1943年)、ウィリアム・A・ウェルマン監督でヘンリー・フォンダ主演の『牛泥棒』(1943年)、ジョエル・マクリー主演でバッファロー・ビル・コディを描いた『西部の王者』(1944年)などの作品が作られている。




西部劇の黄金期


そして第二次大戦が終わって後に西部劇は黄金時代を迎えて、1960年頃まで多数の名作を生んだ。また多くの俳優が西部劇で主演を演じて、その中からゲイリー・クーパー、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、グレゴリー・ペック、ジェームズ・スチュアートらの大スターが西部劇から育っていった。

ジョン・フォード監督のヘンリー・フォンダ主演でワイアット・アープとクラントン一家との対決を描いた『荒野の決闘』(1946年)、そしてジョン・ウェイン主演で後に騎兵隊三部作と言われた『アパッチ砦』(1948年)『黄色いリボン』(1949年)『リオ・グランデの砦』(1950年)、今日では最高傑作とされる『捜索者』(1956年)、そしてウィリアム・ホールデンと共演した『騎兵隊』(1959年)、ハワード・ホークス監督のジョン・ウェイン主演『赤い河』(1948年)、

ジョン・ウェインとディーン・マーティン主演『リオ・ブラボー』(1958年)、ヘンリー・キング監督のグレゴリー・ペック主演「拳銃王」(1950年)、デルマー・デイヴィス監督のジェームズ・スチュアート主演『折れた矢』(1950年)、そしてフレッド・ジンネマン監督のゲイリー・クーパー主演『真昼の決闘』(1952年)、ジョージ・スティーブンス監督のアラン・ラッド主演『シェーン』(1953年)、ジョン・スタージェス監督のバート・ランカスターとカーク・ダグラス主演で「荒野の決闘」と同じく西部開拓史上最も有名な決闘を描いた『OK牧場の決斗』(1957年)などの名作が世に送り出された。

この時期の『捜索者』・『真昼の決闘』・『シェーン』の3作品は、戦前の『駅馬車』と合わせてアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が1998年と2008年に行った「偉大なアメリカ映画ベスト100」で西部劇部門の最上位を占め、1998年は『真昼の決闘』が、2008年は『捜索者』が西部劇映画のトップとして評価されている。 

またこの時期にジョン・スタージェス監督の「ブラボー砦の脱出」、『ガンヒルの決斗』、ロバート・テイラー主演『ゴーストタウンの決斗』[14]そして「六番目の男」、キング・ヴィダー監督のグレゴリー・ペック主演『白昼の決闘』そして「星のない男」、ラオール・ウォルシュ監督の『死の谷』「追跡」「決闘一対三」、ヘンリー・キング監督の「無頼の群」、

ロバート・アルドリッチ監督の「アパッチ」『ヴェラクルス』「ガンファイター」、ウィリアム・ワイラー監督でグレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストン主演の『大いなる西部』とゲイリー・クーパー主演の『友情ある説得』、デルマー・デイヴィス監督でグレン・フォードとヴァン・ヘフリン主演『決断の3時10分』、「襲われた幌馬車」、グレン・フォード主演「カウボーイ」そしてゲイリー・クーパー主演『縛り首の木』、アンソニー・マン監督の『ウインチェスター銃73』『裸の拍車』『ララミーから来た男』『怒りの河』「遠い国」『胸に輝く星』『西部の人』、エドワード・ドミトリク監督でヘンリー・フォンダとリチャード・ウィドマークとアンソニー・クイン主演の『ワーロック』そして「折れた槍」、

スチュアート・ギルモア監督の「落日の決闘」、フランク・ロイド監督の「アラモの砦」、ロバート・ワイズ監督でロバート・ミッチャム主演の「月下の銃声」、ニコラス・レイ監督の『大砂塵』『無法の王者ジェシイ・ジェイムス』、ジョージ・マーシャル監督の「燃える幌馬車」、オットー・プレミンジャー監督のロバート・ミッチャムとマリリン・モンロー主演で初のシネマスコープ作品『帰らざる河』、

ジョン・ヒューストン監督のバート・ランカスターとオードリー・ヘプバーン主演『許されざる者』、ロバート・D・ウエッブ監督のロバート・ライアン主演「誇り高き男」、ヘンリー・ハサウェイ監督の「狙われた駅馬車」「向こう見ずの男」そしてゲイリー・クーパー主演『悪の花園』、アーサー・ペン監督ポール・ニューマン主演でビリー・ザ・キッドを描いた「左ききの拳銃」などが製作された。

そして1960年代に入るとジョン・スタージェス監督のユル・ブリンナーとスティーブ・マックイーン主演『荒野の七人』、マイケル・カーティス監督の『コマンチェロ』、ジョン・フォード監督の『バファロー大隊』『リバティ・バランスを射った男』『シャイアン』、

また西部劇スターが製作監督してジョン・ウエイン監督で初の70ミリ作品『アラモ』、マーロン・ブランド監督の「片目のジャック」、そして西部開拓の歴史を家族の一代記としてオムニバスで描いたヘンリー・ハサウェイとジョン・フォードとジョージ・マーシャル監督の初のシネラマ作品『西部開拓史』などの作品が続々と製作された。



西部劇の歴史は、映画の歴史でもありますね。奥の深さを感じます。
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