記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

我は神なり

ウソと真実の価値を問う、ポスト真実に必見の一本



韓国で大ヒットを記録し、日本でも絶賛されている「新感染 ファイナル・エクスプレス」。同作で彗星のごとく登場したヨン・サンホ監督は、元々アニメーション監督である。

アニメーションと実写、2つの異なる手法でともに成功を収めることは並大抵のことではないが、確かな実力を実写でもアニメでも示している。「我は神なり」は、そんな同監督が世界で注目されるきっかけとなった作品だ。

アニメ作品だが、世界を席巻した「殺人の追憶」や「チェイサー」などの諸作品と同様、どす黒く、力強い情念を持った作品で観客の目を釘付けにする。

むしろアニメーションで描かれるからこそ、そうした負のパワーも純化されているとすら感じさせる。往年の大友克洋や今敏のような、アジア人の顔を精緻に再現するような画風で、現実と地続きであるような印象の映像によって、ヨン監督は現代を生きる我々にとって非常に重要な問いを投げかける。






ダム建設のため間もなく無くなる村の住民は、将来の不安に怯えている。そこにやってくる宗教団体を装った詐欺集団が村人に偽りの救いを与える。彼らは何のご利益もない水を売りつけるが、不安にかられる村人にはそれでも一時の救済として機能してしまっている。

これに異を唱えるのは、いつも娘や妻に暴力を振るう、つまはじき者のミンチョルだけ。彼だけが真実を解明しようとするが、トラブルメーカーの彼を信じる者はいない。何より村人も彼の妻も娘も、心の救済を詐欺師たちによって得ている。人は信じたいものしか信じないものなのだ。

本作で描かれるのは、偽りの救済と人を絶望させる真実の対立だ。村がなくなれば行き場を失う村人は、詐欺によって心の安寧を確かに得ている。あけすけにその欺瞞を暴こうとするミンチョルは、その追求行為ゆえに絶望を見る。人を救うペテンと絶望させる真実、果たしてどちらに価値があるのか。ポスト真実の時代を生きる現代人にとって避けがたい問いかけである。

韓国映画らしいパワフルさで、現代の闇を抉り出した優れた作品だ。

(杉本穂高)




善良な顔のインチキ教団VS醜い現実、信じたいのは…?韓国発社会派アニメ公開




 「新感染 ファイナル・エクスプレス」のヨン・サンホ監督が信仰を題材にした社会派長編アニメーション「我は神なり」が、10月21日に公開された。このほど、善良な顔で人々の不安や弱みに付け込むインチキ教団と、それに身をゆだねていく人々、甘い言葉に惑わされずに、醜い現実を直視し闘う人を描いた予告編が公開された。

映画は、「新感染 ファイナル・エクスプレス」の前日譚として製作された「ソウル・ステーション パンデミック」に続く、ヨン監督の長編アニメーション第2弾。ダム建設に伴う立ち退き補償金に目をつけたインチキ教団と、村の水没を前に信仰に救いを求める村人たち、久々に村に帰り、単身で教団に立ち向かう荒くれ者の中年男ミンチョルの人間模様を描く。ミンチョルの声を、「息もできない」「あゝ、荒野 前・後篇」のヤン・イクチュンが演じている。

公開された予告編では、ダム建設によって水没予定地となった韓国の田舎の村で、若きカリスマ牧師ソンが、熱狂的な信奉を集める様子が収められている。ある日、教団を率いる男ギョンソクの過去に疑念が持ち上がるが、村人たちは信仰心を持ち続け、教団の陰謀を察知して警告したミョンチョルは「悪魔が取りついている」と批難されてしまう。最後には「全部インチキなんだ」と叫びながら教会に火を放つミンチョルの姿が描かれ、“信仰”に揺り動かされる人々の行く末が気になる仕上がりとなっている。




色々と考えされる作品になってるみたいですね。

観た方は、いますか?

たまには、こうゆう映画もよいですね
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。